マーロウ的なあんな事こんな事
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柳ジョージの曲に「フェンスの向こうのアメリカ」という曲がある。
1982年に横浜の本牧のベースキャンプが日本に返還されるまでは、本牧の金網のフェンスの向こうにはアメリカがあった。
これはまだ本牧にそのアメリカがあった頃の話しだ。

ティナというのは呼び名でクリスティーナというのが本名だった。
アメリカ、フランス、中国、日本の血が混ざってると言っていたが、長い黒髪で見た目は日本人とほとんど変わらない、当時の手塚聡美にそっくりなかわいい子だった。
歳の頃は16か17だったと思う。別に恋愛感情があったわけではなくただの友達。

その日、ティナともう一人、ティナを紹介してくれたY香という女の子と3人で波乗りに行こうということになり、友達から借りた銀メタのスカイラインに乗って湘南海岸まで行った。
ティナは片言よりは少しましな位の日本語を話すのだが、カタカナ言葉になるとまるっきり英語の発音だった。
ゲータレイド、ドゥービーブラザース、...そうやって発音するのかぁ。
ティナの日本語はおもしろかった。
言いたい事は分かるんだが、選ぶ言葉が間違っている。
こちらが日本語を教え、ティナが英語を教える。
そのうちごっちゃになるからお互いに中途半端な日英語。

海に着くと女の子二人はもっぱら日光浴で、俺だけ辻堂のしょっぱい波に乗っていた。
「腹も減ったし帰ろう」かということで帰り支度をしていると、俺のボードを抱えて先に車に向かっていたティナが向こうの方で二人の男と揉めている様子。
Y香と一緒に慌ててと駆けつけると、英語でガンガンまくし立てているのはティナの方で、男達の方は何だか困った様子ですごすごと立ち去るところだった。
ティナに話を聞くと「ナンパされそうになった」と怒っていたが、ナンパしようとした男達も日本人だと思っていた相手がいきなり英語でビービーまくし立てたんだから、さぞビックリしたことだっただろう。

横浜まで戻って米軍根岸住宅への坂道を上っている途中に車がガス欠してしまった。
坂の途中に車を止めて、下のGSまでガソリンを買いに走って戻ると、車のところで知らないおじさんとティナ達が楽しそうに話していた。
家の前に車が止めてあったので出てきたらしい。
「おもしろいおねぇちゃんだね」というおじさんに苦笑いを返しながら、ポリタンクからガソリンを入れた。
イグニッション点火。..しない?
「おっかしいなぁ?」
そこへ横からおじさんが顔を覗かせて
「ボンネット開けてみな」
「ここを開けて、こうやってちょっとガソリンを浸してやれば...よしOK!」
ヴオン!!ヴオン!!
「おじさんありがとう!」
のティナの声に、おじさんも満更ではなさそうに手を振っていた。

根岸の丘の上に広がる根岸米軍住宅の入り口についた。
確か根岸競馬場跡に残る一等馬見所跡の年季の入った大きな建物の脇から入ったところが米軍のポリスボックスのようになっていて、その横には荷台付きのアメリカンなPC(ポリスカー)が止まっていた。
そこに3人で行ってから何だか許可証のような物をもらったような気もするが記憶が定かでない。
根岸の米軍住宅地はまるで映画で見たようなアメリカの郊外の住宅街そのものだった。
夏の日差しに照らされて緑に輝く一面の芝生。縦横に描かれた白っぽい道路。
そこにポツンポツンと建っている白い洋風の家々。
家と家の間には垣根もなく、ただ一面に緑の芝生が広がっているだけだった。
丘の上なので夏とはいえ気持ちの良い風が吹いている。
そこは日本の中とはいえ、確かにアメリカの風景だった。
建物は平屋の建物ばかりだったような覚えがある。
そりゃそうだろう。
敷地があれだけあるんだから、わざわざ二階建てにする必要もない。
ティナの家に向かう途中でPCに捕まっている車がいた。
普通の道から続いてるから、きっと知らずに紛れ込んでしまったんだろう。
英語でポリスに話しかけられて、なんて答えているんだろう。

ティナの家に着くとお母さんが笑顔で迎えてくれた。
お母さんはそこいらにいるおばさんと何の変わりもないまるっきりの日本人だったので安心して日本語で話すことができた。
マリという名の小さな白い犬を抱えていた。
お母さんに日本風(?)の挨拶をしていると「いいから早くこっちに来て」とティナの部屋に案内された。
部屋に作り付けの白いクローゼットの奥をガサガサと探っていたティナが、何やらスーパーの手提げ袋くらいの白いビニール袋を出してきた。
「これ、いる?いるんならあげるよ?」
と差し出された袋の中を覗き込むと、枯れ草が一杯入っていた。
「これって...!?」
「うん!」
「何でこんなに持ってんの?」
「友達に頼めばいくらでも持ってきてくれるよ」
Y香と顔を見合わせて、かなり怖じ気づいた俺だった。
ティナのお母さんに日本円をドルに両替してもらい、本牧のベースキャンプに遊びに行くことにした。
「お邪魔しました~」
「あら、もうお帰りなの?また来てくださいね。まったくこの子は..うんたらなんたら...」
「もう早く行こうよ!。うちのママったら、お客さんが来るとお説教が長くって!」
おいおい。お説教じゃなくて、これは挨拶だよ。
話が長いっていうより、それって日本人風の挨拶の流れだからなぁ。
と思いつつ名残惜しそうに見送ってくれたお母さんを後に3人で本牧のベースキャンプに向かった。

ベースの入り口に着いたときはすでに夕闇が迫っていた。
チェックを受けてフェンスの中へ入った。
ベースの中に入ることに対して特別な思いや憧れがあったわけではないのだが、そこは確かにアメリカの匂いがした。
通りの向かい側の「アロハ・カフェ」からハンバーガーをかじりながら眺めていたフェンスの向こうのアメリカだった。

薄闇に包まれた中、カクテル光線に浮かび上がる建物の立ち並ぶ中をティナの後について歩いていった。
ティナに連れられて最初に入った建物は「ボウリング場」だった。
中にはいると、ボウリングのレーンが5つくらいあって、ビヤ樽みたいな体型のアメリカ人の夫婦や家族連れがボウリングを楽しんでいた。
アロハを着た人の良さそうなおじさんが入っているカウンターでは、コーラやポップコーンに混ざって煎餅まで売っていた。
煎餅の値段が$で書いてあるのに少々違和感があった。
ここでやけにでっかいハンバーガーと缶コーラ(コークね)をティナを通訳にして買った。
コーラの缶の蓋を見ると何だか今まで見たこともない形状のプルトップが付いていた。
「ティナ。これどうやって開けるんだよ。」
「え?こうだよ。」
情けないったりゃありゃしない。
日本でその形のプルトップにお目にかかったのは、それから何年か後のことだった。
海で遊び疲れていたのでボウリングは遠慮することにして、そこで長い時間しゃべっていた。
「基地の輸送機に乗せてもらえば1000円くらいで世界中に連れて行ってもらえるんだよ」
「パスポートもいらないしね」
そんな他愛もない話をしてからその建物を後にした。
外に出ると辺りはすっかり夜になっていた。
「これからどうしようか?」
目の前に映画館があった。
「それじゃあ、映画でも観ない?」と手を引くティナ。
「映画館まであるんだ?ところで、その映画って字幕とか出んのかな?」
「なに?ジマクって?」
英語がボロボロの俺にとって、字幕無しの洋画は致命傷だったので、映画を観ることはあきらめた。
その後、ベース内のどこで何をしていたかな?ほとんど記憶がない。

「そろそろ帰ろう」ということになってフェンスの中から外へ、つまり日本へ帰ってきた。
ゲートの外に出て、さてどうしようかと3人で立っていると、遠くの方から異様に太いエキゾーストノイズが聞こえてきた。
こちらに向かってきたのは白いファイヤーバード・トランザム。
いや、原型はファイヤーバードなんだろうが、異様にヒップアップしている。
後輪はテレビのF1でしか見たことのない超極太のスリックタイヤ。
あんなので本牧の街でシグナルレースやられたら、日本車じゃ敵わないよなぁと思っていると、その車が巨人の足踏みのようなノイズを轟かせながら、目の前までやってきて止まった。
辺り一面「ドッ!ドドッ!ドドッ!」と強烈なエキゾーストノイズと強烈なオイルの匂い。
こいつどんなエンジン載っけてるんだ?!
左側の運転席から金髪の若い男が顔を出した。若いっていうより、まだ幼さの残る顔立ち。
本当に免許持ってんのかよ。
その金髪男が「ティナ!」と声を掛けてきた。
ティナがニコニコしながら車に近寄っていき、ノイズに負けまいとなにやら怒鳴るように話しているのを、Y香と一緒に一歩退きつつ眺めていた。
話し終えたティナが駆け寄ってくる。
「あの子達が一緒に遊ばないかって言ってるけどどうする?」
と怒鳴った。
怒鳴るように話さないと何も聞こえない。
「え!」たじろぐ俺。
「でも私、あの子達あんまり好きじゃないのよね。変なことしようとするし。」
へ、変な事って?
「そ、そうかぁ。じゃぁまた今度にしよう」
「うん、分かった。そう言ってくるね。」
う~ん。根性無しな俺。
再びティナが金髪男に駆け寄って何やら言うと、金髪男は俺等に向かって「バイ!シーユー!」とニコニコと手を振りながら、夜の本牧の街に巨人の足音を轟かせながら消えていった。
「今日はすごく楽しかった」と言うティナを根岸米軍住宅まで送っていった。
ところがティナは住宅の前で会った友達と「一度家に帰ると出られないから」と言いながらまた夜の街に繰り出していっちゃいました。

そのティナもその1年後くらいにパパの転任で、またどこかの国の基地に行ってしまったらしい。
今頃はビヤ樽ママになってるのかな。

そんなティナの思い出でした。


あとがき
実はもう一度違う場所で「アメリカに入った」事がある。
測量のアルバイトをしているときに入った横須賀基地だった。
山のような大きさのスクリューが転がっている空き地で測量のメジャーを引っ張っている自分に、ジョギングしている兵隊が「ハロー」なんて言っていた。

30年近く前のことを記憶の糸を辿りつつ書くのはかなり骨が折れる。
しかもフェンスの向こうのアメリカといいつつ、肝心のフェンスの中での記憶があまり残っていない。
それよりもティナの笑顔ばかりが思い出される。
あ、何度も断っておくけど恋愛感情は全く無かったよ。

ティナと別れたその日は、Y香と二人でリンディかなんかへ行って踊り明かしたような覚えがある。
リンディに行くときはいつもより少しだけ格好つけて行かなければならない雰囲気があった。
当時は横浜駅西口五番街のソウルトレイン、後発でK&E、山下町のサーカス、関内のインフィニティやカウベルなんていうディスコがあったが、大人っぽい雰囲気があったのはこの本牧リンディだった覚えがある。
私がよく通ったのは、家から歩いて行けて弟もバイトをしていたソウルトレインだったが、横須賀の基地に米軍の空母かなんかが来ると、横須賀から米軍さんが大挙して押し掛けて、どこの国だか分からないような状態になっていた。
女の子なんてみんな連れて行かれちゃうし。
でも新しい曲やステップとかがどんどん入ってきていた。
当時は高嶺の花だった「洋モク」(死語)もカートンで日本の煙草よりも安く分けてもらえた。
そういえばK&E開店の際には自宅に招待状が来たりしたぞ。

先日、ある集まりで某さんとお話しした際に、ベースがあった頃の本牧の話が出た。
私がベースの中に入ったのはこれが最初で最後だったが、某さんは8年あまりベースの中でカーウォッシュやハウスクリーニングなどのバイトをしていたそうで、当時のベース内のおもしろいお話をうかがうことができた。
当時のベース内の雰囲気を知っている人って貴重な存在かもしれない。
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