マーロウ的なあんな事こんな事
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初めてワールドカップという物をTVで見たのは、1970年のメキシコワールドカップ
TVはもちろん金子・岡野の名コンビの三菱ダイヤモンドサッカー。
私は当時中学生で毎日部活のサッカーに明け暮れていた時だった。
この時の大会は当時のスター選手が沢山出場していて名勝負も多かった。
イングランド-西ドイツ、西ドイツ-イタリア...
優勝は円熟期にあったペレが率いるブラジル。
あの時のブラジルをリアルタイムで見ることができて、すごく良かったと思う。
メキシコの熱い太陽と相まって、ペレとブラジルがキラキラと輝いて見えた。
家庭用のビデオなんて無かった時代だから、見る物全てを頭の中に焼き付けようと、食い入るように画面を見ていた。
翌日は練習の前にみんなで集まって「ペレはやっぱ俺だな」「じゃぁ、俺がトスタンね」「トドメのカルロス・アルベルトは俺!」なんていう具合に役割を決めて、得点シーンをグラウンドで再現したりした。
「ペレは前を向いたまま、後ろから来たカルロス・アルベルトにパスを出したんだぞ」
「トスタンは360度回転しながらセンタリングした」
「ジャイルジーニョはファケッティに腕を引っ張られながらゴールしたぞ」
「とどめのシュートは逆サイドのネットを突き刺さなきゃ」
「ジェルソンはこの距離からのロングシュートだった」
なかなかうまくできなかったんだけど(^_^;
でもそうやっていると、ほんの少しだけペレやブラジルの選手達に近づけたような気がした。
デヴィッド・ベッカム
発売日:2006-03-24
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インストゥルメンタル
発売日:2002/01/30
あまなつ

先日、CDショップで「ドラム・マジョレット」という曲のCDを購入しました。
「ドラム・マジョレット」と聞いただけでピン!ときた人は、とてつもなくサッカーオタクかも。
しかも私と同じくらいのお歳を召してるはず。
ず~と探してたんだよなぁコレ。
この曲こそあの歴史に残るサッカー名番組「三菱ダイヤモンドサッカー」のオープニング・テーマ曲です。

ダイヤモンドサッカーテーマソング
シングル 2002/01/30発売
CD:EPCE-5138 \1200

01. ドラム・マジョレット
02. ドラム・マジョレット(ROCK VERSION)
03. ドラム・マジョレット(SAMBA VERSION)
サッカーファン待望!あのダイヤモンドサッカー(テレビ東京)テーマソングがサポーターたちの熱い要望に応えて、遂に世界初CD化大決定!20年間の全対戦カードの放送記録収録!頑張れ日本代表!
特典:1.20年間の全対戦カードの放送記録
   2.岡野俊一郎、金子勝彦対談
   3.小野伸二直筆サイン入りナイキサッカーボールプレゼント応募券付き

最近は「FIFA ANTHEM」を聴けば「サッカーの曲」と感じるようになりましたが、我々の年代ではサッカーの曲といえば、やっぱりこの「ダイヤモンドサッカーテーマ曲」ですよね。
家に帰ってさっそく聴いてみました。
「チャ~ン、チャララッタタララ、チャ~ン、チャララッタタララ…」
うわ~!当時のままです!!
(といっても、タイトルで使われていたのは最初の15秒くらいだけでしたから、その後の方を聴いても何だかピンとこないんですが…)
TVのチャンネルをガチャガチャ回して12に合わせると、そこに映し出される「三菱ダイヤモンドサッカー」のタイトル場面、そしてその前に座っている中学生の自分が、一気に蘇ってきたような気がしました。
え?たった15秒の思い出で1200円は高いですか?
ところがどっこい、おまけも良かった。
特に名解説をされていた岡野俊一郎氏とアナウンサーの金子勝彦氏の対談を読んだら、これだけでも当時のファンは死ねます。
なぜ、どうやってダイヤモンドサッカーが始まったのか?視聴率1~3%の番組がなぜ20年も続いたのか?CMがなぜ途中で入らなかったのか?
知りたいでしょう?
ここで書いちゃうとCDが売れなくなって怒られてしまうので書きませんけど(汗)

もう一つのおまけの「20年間の全対戦カードの放送記録」もすごい。
1968年の記念すべき第一回放送カードは何だか御存知ですか?
トットナム・ホットスパーズ 対 マンチェスター・ユナイテッド です。
9シーズン在籍したトットナム・ホットスパーズで、4度の得点王に輝いたジミー・グリーブスがマンチェスターUゴールを狙えば、マンチェスターUのジョージ・ベストの華麗なドリブルがスパーズのDF陣を切り刻み、ボビー・チャールトンが強烈なキャノン・シュートを放ち、センタリングにデニス・ローが飛び込んできてジャックナイフ・ヘッドでスパーズのゴールを脅かす…
そんな光景が今でもはっきりと思い出せるような気がします。
当時のアイドルっていったらジョージ・ベストでした。
サッカー界のビートルズとか言われてましたよね。
長髪やシャツの裾出しを流行らせた張本人でした。
ダイヤモンドサッカーのお陰で、まずはすっかりイングランドサッカーの虜になってしまった私は、「サッカーマガジン」だけでは飽きたらず、中学になると英国のサッカー専門誌「FOOTBALL MONTHLY」を横浜の有隣堂で取り寄せてもらい、毎月瀬谷から横浜まで受け取りに行ってました。
英語なんて読めなくたって、写真を見てるだけで十分楽しかったですから。
おっと、ダイヤモンドサッカーの話に戻って。
岡野、金子両氏の解説とアナウンスコンビも最高でした。
岡野氏の解説は単にサッカーの技術や戦術の解説にとどまらず、ルールブックにはないマナーの説明や個々のチームの背景にある人々の生活や風土にまで及び、スタジアムの雰囲気をいっそうリアルに伝えてくれました。
余談になりますが、私が高校のサッカー部員だった頃、どこだったか忘れてしまったのですが、関内辺りのホールで「ゴール!ゴール!ゴール!」というワールドカップのドキュメンタリー映画に招待されたことがありました。
70年メキシコワールドカップの映画だったと記憶していますが、映画が始まる前に壇上でこの映画の解説をして下さったのも、この岡野俊一郎さんでした。
お忙しい中、サッカーのために全国各地を飛び回って普及に努めて下さっていたのだと思います。
またその名解説を的確に引き出してくれたのは、サッカーファンの代表ともいえる金子アナウンサーでした。
「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか。」金子アナウンサーの第一声はこれでしたね。(ちなみに金子さんは六ツ川SCの地元弘明寺にお住まいとか?)
決してオーバーなわざとらしい話し方ではなく、試合の流れを的確に伝えてくれる中に、氏のサッカーへの暖かい愛情が感じられるようなアナウンサーぶりでした。

今でこそ、いつでもどこかのチャンネルに合わせれば海外のサッカーを楽しめるような時代になりましたが、当時は海外のサッカーを見るための唯一の番組がこの「ダイヤモンドサッカー」でした。
ワールドカップというものが初めて放送されたのもこの番組です。
70年メキシコワールドカップ。
ダイヤモンドサッカーでは1年間で全試合の放送がされたそうです。
ペレ率いるブラジルがメキシコのアステカスタジアムの眩いばかりのピッチ上で繰り広げたサッカー。
まさに芸術的なサッカーを展開し、観ている私たちを異次元の世界にまで導いてくれました。
クライマックスにはペレの「頭の後ろに目がある」をまさに証明するようなアシストからカルロス・アルベルトがイタリアの息の根を止めるとどめのゴール!!
ソンブレロをかぶされたペレがなだれ込んできた観客に肩車をされてビクトリーラン。
ワールドカップの素晴らしさと興奮を思う存分堪能させてもらいました。
番組はこの後イングランドリーグからドイツ・ブンデスリーガーの放送へと移行していき、当時のブンデスリーガーでダントツに強かったバイエルン・ミュンヘンやボルシア・メンヘングラッドバッハなどの試合も見ることができました。
この時のヨーロッパ選手権での西ドイツの強さと素晴らしさは今でも忘れられません。
縦軸に後ろからフランツ・ベッケンバウアー、ギュンター・ネッツァー、ゲルト・ミュラーを揃えたこの西ドイツのサッカーは本当にすごかった。
74年西ドイツ大会の決勝戦は、ミュンヘン・オリンピックスタジアムから初めての衛星生中継でした。
「皇帝」フランツ・ベッケンバウアー率いる地元西ドイツに対するのは、「空飛ぶオランダ人」ヨハン・クライフを中心にトータルフットボール旋風を巻き起こしたオランダの対決。
7月7日、日本は七夕の夜11時でした。
ちょうど選挙の開票と重なり、他の放送局が開票速報の番組を流す中、テレビ東京だけが2時間の特別番組を組んでW杯決勝を放送してくれました。
この時も1年間かけて全試合を放送してくれました。

当時の私たちにとって、世界のサッカーを観る唯一の窓口であったこの番組が、現在の日本のサッカー界にもたらせた功績は計り知れないものがあると思います。
サッカーに関して鎖国状態であった日本に海外との門戸を開いてくれた番組であり、そのブラウン管に映し出された海外のサッカーは、それまで日本リーグしか知らなかった私たちに大きなカルチャーショックを与えてくれました。
それはまるで自分たちがいるのとは別世界の別次元で行われているサッカーでした。
「ワールドカップ」というものは日本代表が出ていなくて当たり前であり、日本がワールドカップに出場するなどとは夢にも思わなかった時代でした。
ですから98年フランス大会に日本が初出場したときには「違和感」さえ感じてしまいました。
そのワールドカップ初出場のあと、海外のサッカーは当たり前に観ることができ、日本人選手がその中で活躍している姿まで観ることができるようになりました。
しかし決してオーバーな話ではなく、この番組が無かったら2002年ワールドカップが日本で開催されるという夢のような話も、夢のまま終わっていたかもしれませんね。

まさしく「ダイヤモンドサッカー」に育てられた私たちの年代(30代後半以上かな)の方は、今はサッカーを下から支える立場になっている方が多いかと思います。
その下には「キャプテン翼世代」がいて、またその下には「Jリーグ世代」が続き…
そうですね、次は「2002年ワールドカップ世代」かな?
まだまだ日本のサッカーは進化し続けそうですね。
だって100年構想ですもんね。
頑張れニッポン!!

※この記事は2002年2月、つまり日韓W杯前に某所に書いた記事の流用です。
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